monologue de yoki-ta

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La fête du service social

私はラギューン母子病院という国立病院で活動している。

院内にはいくつかの部署がある中で、私の配属先は service social(社会サービス課)である。
女性9名で構成される小さな課である。
そこに保健師である私と、栄養士隊員1人が配属されている。

そんな私の配属先でパーティ(fête)が催された。
平日金曜日の午後、職場にて。
日本では考えられない設定である。

そのパーティが計画されていることを知らされたのは、パーティ3日前。

いつものごとく急である。
私が配属されて以来、初めての事でなぜこの時期に、しかもservice socialだけでパーティをするのかは動機がはっきりとは分からなかった。

ベナンでは結婚式、お葬式などの催し物や、パーティがあるとお揃いの布で衣装を作る。
今回も例外ではなく、いつの間にか私たちの布は準備されていた。
なかなかかわいい布である。

今から仕立屋に行くからと、これまた急に同僚に引っ張り出された。
あまり日がないので、デザインはシンプルなものを選んだ。
採寸後、同僚が木曜日の夕方までに作って欲しいと仕立屋にお願いしている。

2日間で2着なんて、大丈夫だろうかと不安になる。
約束事が遅れることは日常である。

金曜日までの3日間、同僚達はパーティに関してさほど準備をしている風でもなく、いつも通りゆっくりと過ぎて行った。

案の定、服は約束通り出来なかったが、金曜日の昼パーティ直前に仕上がった。

仕上げにサイズ直しもきちんと施してくれた。
ベナン人の前で、ベナン服を着ることは今回が初めてである。

ただでさえ、目立つ日本人。
栄養士隊員と、揃いの布のベナン服を着て道を歩くと、通りすがりのベナン人の注目をかなり浴びた。

みんな目を細めて嬉しそうに「きれいだよ。」と声を掛けてくれる。

ベナン人にとって、ベナンの衣装を外国人が着ることは非常に嬉しいことなのだ。
それは、私たちがベナン人の現地語を話した時と同じくらいの喜びようであった。

職場に着くと、きちんとパーティ用に準備がされていた。
午前中、いつもどおりしらっと過ごしていたが・・・。
日本のように入念な事前準備をこの国では見たことがないが、本番はそれなりにうまくいく。

まさしくぶっつけ本番。
時に失敗もあるが、本番には強いなといつも感心する。
それがベナン人の国民性なのだ。

この病院では、毎月第4金曜日の午後からミサが行われる。
誰でも参加OKである。
病院へ来る母親や子ども達に向けて祈りを捧げるためらしい。

今回のミサは音楽隊もいて、いつもに比べて豪華だった。
同僚達と一緒に揃いの布で作った衣装を着て参加した。

やはり今回のミサは私たちの部署がメインらしく、同僚達と一緒に豪勢なお供え物を献上し、牧師が唱える言葉の中に何度も「service social」という言葉が出てきた。

onngakutai

思い返せば、数か月前に、残念ながら死産してしまった同僚がいる。
その同僚が2月から復職するにあたって、という意味合いも含んでいる感じがした。

ミサの最後には、参加者全員で軽快な聖歌に合わせてとにかく踊る。
音楽を奏で始めるとみんな急に盛り上がり、腰でリズムを取りながら自由に踊る。


同僚も踊る


当然私も一緒に踊る。
またもやここでも、私たちが同僚達の真似をして踊ると非常に喜ぶのである。


踊る牧師
楽しげな雰囲気につられ、牧師も踊る。

音楽と踊りに引き込まれ、ミサの参加者全員が一つになった感じだった。
時に同僚が、物凄い小刻みなリズムで激しく踊り出す。
顔は本気である。
その気迫と勢いは私には到底真似できない。

どうもそれは見せ場らしい。
一瞬の激しい見せ場が終わると、周囲は盛り上がる。

そんなことを繰り返しながら踊りの時間は終わっていった。

最後に牧師が「あなたがベナンの踊りを踊ってくれてとても嬉しかった。」との言葉をかけてくれた。

ミサの後は、事務所で食事会である。
患者さんが来ないかどうか気になりつつ。


どうやら病院の食堂から注文したらしく、なかなか美味しかった。

みんなお酒をたくさん飲み、たらふく食べ、とり肉を骨までしゃぶり、またここでも携帯で流行りの音楽を鳴らして踊るのである。
食べて、踊って盛り上がるの繰り返し。

本当に音楽と踊りが大好きな民族である。
普段の職場で見ることのなかった、同僚達の良い表情を沢山見た。

私の住むコトヌは都会のため、地方のように近所の家に呼ばれたり、地元の結婚式やお葬式、パーティに呼ばれることはほとんどない。
そのため、彼らがどんな風にそれらを催し、どんな習慣があるのかなどを知る機会が少ない。

今回のパーティでは、それを少し垣間見ることができて嬉しかった。
現地人と同じものを一緒に楽しむことができて良かった。
新たなベナン人の一面を知ることができた。

辛いことも、悲しいことも最後は歌と喜びに変えて吹き飛ばしてしまう。

そんな印象を受けた。
最後まで何のためのパーティか分からなかったが、またあればいいなと思う。(休日に

集合写真





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なんかちょうだい

「なんかちょうだい」
ベナンに来て、何度この言葉を聞いただろうか。
道を歩くと、日本人は非常に目立つ。

そのためか、話しかけられる頻度が高い。
特に初対面や通りがかりに、大人から「食べ物ちょうだい。」「お金ちょうだい。」と言われる。
子ども達からもよく言われる。

日本人の感覚からすると当然 厚かましい!と感じ、初対面なのに失礼な!とか、なんであげなきゃいけないの?と怒りモードが入る。

白人だからお金を持っている。
だから、なんかちょうだい。
そんな発想だろうか。

電子辞書のような高額なものから、小さな飴まで「ちょうだい」と言われる物に、金額は関係ない。
中には「100Fちょうだい。」と金額指定されることもある。

頻繁に言われると、話をしていても、この人はいつ「ちょうだい」と言ってくるのかと、自然に身構える。

「ちょうだい」と言う人たちは、年齢・性別を問わない気がする。
学歴はやや関係していると思う。
私が住むコトヌを含め南部に住む多くのベナン人がフォン族という部族である。
噂によれば、どうも彼らがその言葉をよく口にするらしい。
北部やフォン族以外の民族はあまり言わないとか。
でも、真相は分からない。

ちなみにベナンには約25もしくはそれ以上の民族がいて、それぞれ独自の言語を持っていると言われている。
だいたい中部から南部で多く話されるのがフォン族由来のフォン語が多い。

さて、話を戻して。
ベナン人は物をもらうことに対して、日本人のような遠慮のマナーはない。
くれるものは、何でももらう。
バイキングなどは、ものすごい勢いで群がりあっという間になくなる。
まるでバーゲン会場のようである。

私の働く病院は、一定の教養がある人が多いが、言う人は言うし、言わない人は言わない。
時には何らかの障害のある人など、本当に貧しくて道端で差し迫って言ってくる人もいる。
中には、イスラム教の教えの「徳を積む。」に基づいた行動の可能性もある。

しかしほとんどの場合、普通に働いている人が会話の中で軽く言ってくる。

理由を説明して、丁寧に断ることもあるし、説明するほどでもないときは軽く流す。
場合によっては逆に「なんかちょうだい。」と冗談で言い返して反応を見る。

近頃慣れてきたので「ちょうだい」のやりとりは軽く受け流せるようになってきた。

道端で、見ず知らずの働き盛りで身なりも普通で何の問題もなさそうな若い男性に「ヨボだから食べ物くれ。」と言われると、さすがに腹が立つ。
中には、「なんかちょうだい。」の度が過ぎて、少額のおつりを返してくれなかったり、しつこく何度も言われることもある。

先日、やや関係が築けてきた人に「ちょうだい」と言われたものがあった。
ちょうど、おまけで付けてもらったものだったので、たまにはいいかと思って差し出した。

すると相手は「本当にくれるの?」と少し驚き、意外にも断ってきた。
その人が断る様子を見て、隣で店を構えるおばちゃんが言う。
「じゃあ 私にちょうだい。」
・・・。

そんな出来事が、異なる人で2回あった。

「ちょうだい」という人に、実際にあげることはほとんどないので分からないが、もしかすると断る確率は意外に高いのかもしれないと思った。

冗談で受け流すと、笑いながら終わる。
あげなくても、怒ってふてくされることはない。
ほとんどは「元気?」と声をかけるような、軽いあいさつのつもりなのだと勝手に結論付けている。
この価値観を理解することは、難しい。

そんな一面もあれば、ベナンの食事を知ってほしいからと、いろんな食べ物をくれる同僚もいる。
フォン語しか話せない売り子さんから購入しようとすると、通りがかりに通訳してくれる人がいる。
屋台で一緒になっただけなのに、おごってくれる人もいる。
買い物をするとおまけをつけてくれるおばちゃんもいる。
渋滞道路を渡れないでいると、一緒に渡ってくれる人も沢山いる。

「なんかちょうだい。」に小さなダメージを受けつつ、そんな度重なる親切に癒されている。

家の前の通り
家の前の通り

ブードゥーの祝日

1月10日は国民の祝日。
ブードゥーを祝う日。

ブードゥーとは宗教である。
ベナンはブードゥー教の発祥の地と言われている。
南米でも有名な宗教であるが、もとをたどればベナンのウィダという海沿いの町がその発祥の地らしい。

なぜ南米方面にベナンの宗教が広がっているか。
それは多くのベナン人が集められ、このウィダの町から奴隷として送り出されたからである。
ウィダの砂浜には「帰らずの門」という奴隷船乗り場を意味するモニュメントが建造されている。

帰らずの門2
帰らずの門

ベナンの各地でこのブードゥーを祝っているらしく、人々が歌い、踊っていたり、町中を練り歩いている姿を目にした。

ウィダで、それを代表する大きな祭りが開かれるとのことで行ってみた。

私の住むコトヌからタクシーで約1時間半。
会場は大きな広場の周囲にテントを張り、椅子を並べ、正装したベナン人がたくさん座っている。どうも地区ごとに分かれてテントを張っている気がした。

沢山の屋台が出て、売り子が色んな物を売り歩き、まるで体育祭の会場のようだった。


各テントごとで、太鼓などでリズムを取り、手拍子を加えながら踊っている。

踊りに老若男女は関係なさそうだ。
踊りは基本的に腰振り系である。
どこも非常に盛り上がっていた。

踊る民衆

踊る親子
母も踊る

祭りを見るために、フランス人などの外国人の姿もかなり多かった。

真ん中の広場では、ブードゥーの神様らしき大きな三角の藁をまとった人がくるくるまわっている。
炎天下の中、分厚い藁は非常に暑そうだった。
日本的に言えば、獅子舞のような感じか?


ザンベト
三角の物体(ザンベト)が神様の一つ

ブードゥーの呪物師のような人たちの踊りも披露された。
働き盛りの男女。特に男性が多かった。
途中トランス状態になったのか、それぞれが片手にナイフ、もう片方にとぎ石のようなものを持っていて、そのナイフで自分の腕に何度も切り込みを入れていた。

本人たちはトランス状態のため痛くない様子だったが、当然血も吹き出ていて見ている方が痛かった。
この暑く埃っぽい環境で、感染症もなく治癒するかどうかはかなり気がかりだ。

神様がくるくるまわっている姿や、呪物師達の踊りは呪いや、魔術的なおどろおどろしいものを感じ、祭りを踊って楽しもうという楽しい気分にはなれなかった。

逆によそ者は入れない気迫と雰囲気があった。

ちなみにこの祭りでは、写真撮影は禁止されている。

ベナン人は日常的にも写真を嫌がる人は多い。
勝手に撮影するとお金を請求してきたり、騒ぎ出す人もいる。
だから、特定の人を写真に撮るときは了承を得た方がいい。
それはマナーである。

この祭りは、関係者に交渉しお金を支払えば写真撮影はOKらしい。
それでも会場は非常にたくさんの人がいるため、当然隠れて撮影しようとする人は沢山いる。
時々、非常に体格の良いお兄さんが撮影を注意している姿を何度か見た。

フランス人はお金を支払い、メインとされる物や人々を堂々と撮影する姿をよく見かけた。
ブードゥーの呪物師という人々を沢山の白人が群がり、とり囲んで撮影している姿を見ると何とも言えない気持ちになった。
うまく表現できないが、ベナン人にとっての神聖な物を汚してしまっている気がした。
でも、ベナン人が許可していることだからいいのだろうが。

ブードゥーのことは、私自身よく分からない。
自ら「ブードゥー教です。」と言っている人を今のところ会ったことがない。
会う人のほとんどがキリスト教やイスラム教、その他の宗教である。

しかし、それは全てのベナン人の心の中に存在している。
迷信よりも、もっと現実的に真実味のあるものの気はする。

ときどき、ブードゥーが根付いていると感じる会話を耳にする。

ある時、病院の患者さんで家族のことを相談しながら、泣いている人がいた。
現地語でまったく理解できなかったので、相談内容を助産師さんに聞いてみた。

すると「彼女のお母さんが魔術にかかっている。かわいそうに。」と真顔で返ってきた。

そんな感じで日常的に存在を感じる。

よく分からないだけに、理解も難しい。
ただ、ベナンを象徴する文化ということは間違いない。

教会 教会中
ウィダの教会


日本が失ったもの

最近心が疲れたとき、家の前に出て子どもと遊ぶ。
彼らの笑顔は本当に純粋で、私の大好きなひと時である。

家の前で遊ぶ子どもたちは、道端で店を構える人たちの子どもである。

巻き毛のくりくり頭に、くりくりおめめで、手や頭が砂にまみれている。
オムツをしていないので、覚悟して戯れる。
「ヨボ(白人)!」と嬉しそうに叫んで走ってくる姿は、とてもかわいい。

中には「ヨボ!」と元気に呼ぶので行ってみると、泣かれることもある。
「ヨボ」に興味はあるが、近づかれると怖いのだろう。
その反応もまたかわいい。

いつも二人で
いつも2人で 

土日と平日の夜、家の前に店を構える親子がいる。
そこにも4か月ほどの女の子がいる。
家の前で涼んでいると、店のマダムは背中におぶっている女の子をひょいと私に渡してくる。
「ちょっと抱いててくれる?」といった感じだ。

知らない人に子どもを預けることに、抵抗はないようだ。
病院でも待合で偶然となりに座った人に、診察の間子どもを預ける姿を時々みかける。

私が子どもと遊んでいると、通りがかりの人や学生、別の店を構える人やそのお客さん、道路を走るバイクの人、道端で夕涼みをしている人など、老若男女関係なく実に色んな人が子どもたちと戯れて去っていく。

私の家のガードマンが道端で遊ぶ子どもの相手をしていることもある。
店に来たお客さんが近くで遊ぶ子どもたちを抱っこして、談笑する姿もよく見かける。

子ども達が少しでも危ない行動をとれば、周囲の色んな人から注意の声が飛んでくる。
目の届かない範囲にいても誰かが守ってくれる。

誰の子どもでも関係なく、子どもには目を配り注意する。
互いに助け合って子育てすることがベナンでは日常なのだ。

子どもたちの親や年上の兄弟達も、遊ぶ子どもたちをさりげなく確認しつつ、店をきりもりしている。

たくさんの兄弟や、近所の子どもに囲まれて育っているせいか、小学生くらいの年齢になるととてもしっかり子どもをあやしている。

みんな子どもが大好きなのだ。
子ども同士、互いにもまれながら成長し合っていることをひしひしと感じる。

家族が助け合って、子育てしながら店をきりもりする姿や、店を訪れるお客さんをはじめ通りかかる人達が誰かれなく子どもたちをあやす姿をみると、心からほっとする。
どちらもとても優しい表情をしている。
こんな関わりが、優しい心をはぐくんでいるのだと強く感じる瞬間だ。

見ている私も優しく、温かく懐かしい気持ちになる。

日本も昔はそうだった。

でも、今の日本は・・・。
少子化でひっそりした公園。
知らない人に話しかけられれば、警戒する。
他人の子どもには干渉しない。
近所付き合いが薄く、孤立する親子。
子どもたち同士で遊ぶ場を行政や第3者が提供しなければ、親と子どもだけの世界から抜け出せない親子。
子どもと関わる機会もなく育ち、自分の子どもとの関わり方に戸惑う親。
誰の助けも得られず、子育てに疲れ果てノイローゼになる親。

そんな家庭がたくさんある。

さらに。
苦労して育てたはずの子どもが親を殺害したり、動機もはっきりしないまま簡単に殺人を犯すという悲惨な事件があとを絶たない。

いつからか日本は、人間の基本的な心を置き去りにしてきたのではないかと思う。

日本にはベナンにないものが沢山ある。
日本の素晴らしさを毎日実感している。

けれどベナンは、今の日本より人間らしい心があふれていると感じる。
子どもを取り巻く環境はベナンの方が恵まれている。

先進国のはずなのに、便利なものに囲まれているはずなのにどうしてだろうか?

発展を遂げるには、何かを犠牲にしなければならないのだろうか?

電子機器、インフラ、コンビニ、ゲーム、溢れる情報、様々なモノを発展させ充実させるために、大人は仕事に追われる毎日で、社会の流れるスピードが速すぎるのかもしれない。
そのスピードについていけない大人や子ども達は、置き去りにされてしまう。

核家族化が進み、人間同士の付き合いが希薄になり、子どもたちも親以外の人と触れ合う時間が当然少なくなる。

さらに、物事が効率よく回り、余暇はお金を出せば手軽に楽しめるようにと発展させてきたものが、逆に人を孤独にさせているのかもしれない。
だから、「癒し」を求めているのだと思う。

それは日本だけでなく、先進国はどこも同じかも知れない。

得るものがあれば当然、失うものがある。
でもこれ以上、心は失いたくない。
ベナンに来たからこそ、見えてきた日本の現実。

ベナンの発展を願いつつ、今の心を失って欲しくないと強く思う。

日本のお母さんたちもそんな中、頑張って子育てしている。
子どもの成長を喜び、日々のスキンシップに幸せを感じている親も沢山いる。
日本の子育てをサポートするために毎日奮闘している人もまた、沢山いる。

互いに助け合って子育てすることはベナンと変わりない。
今が踏ん張りどき。

帰国すれば、私もその一員となる。
今の気持ちを忘れないでおこうと思う。

江頭?
江頭2:50?


Bonne année!

明けまして おめでとうございます。

日本の年明けから8時間後。
ベナンで初めての年越しです。

私はコトヌの同期隊員の家で友人達と過ごしました。
年越しそばならぬ年越しそうめん。
2007年の紅白歌合戦DVDを見ながら。

日本では、紅白歌合戦というものをあまり真剣には見ていなかった私。
世の若者たちと同様、他のチャンネルと交互で見たい歌手だけ見る、というのが常でした。

しかし、
暑いが基本で、やや涼しいか暑くなるかの違いだけの季節感のないベナンでの年越しは、本当に年末の実感がわきにくかった。

季節の移ろいがどれほど日本人の心を豊かにしているか、身をもって実感しました。

そんな中での紅白歌合戦は、季節感と暑さでからからに干からびていた心に、年越しの実感ともろもろの潤いを与えてくれました。

おそらく今まで生きてきた中で、一番真剣に、一番心で日本を感じた感慨深い紅白となりました。

できればそのあとの「ゆくとし くるとし」も見たかったけど。
残念ながらDVDはそこで終わったのでした。

紅白の感動はこの辺に。

年越しの瞬間。
ベナンらしく、時間は曖昧。
私たちの携帯電話もいつしかベナンタイムとなっていたらしく。
時間がそれぞれずれていて、正確な年越しの瞬間は分かりませんでした。

携帯
正確なのは?


ベナン人も、至る所で爆竹や打ち上げ花火をあげて新年を祝っていました。
ベナンでは、1日のみ祝日で2日から通常勤務が始まります。
一応公共機関は、クリスマスと1日の前日は半日仕事となります。

1日は、日本から送ったありったけの日本食材を利用。
お雑煮(大根、人参、ヤム芋、とり肉)芋きんとん(サツマイモ)、大根と人参のなます、乾燥から戻した松前漬け、おもちなどなど、ベナン食材とコラボした「おせち」を堪能しました。

おせち1
努力の結晶の作品

ちなみにベナンの年越しは、31日夜に教会でお祈り。
少し豪勢にお肉をソテーして、ビールやワインなどお酒を飲んで、みんなで踊って過ごすらしい。
これはある程度収入のある職場の同僚の過ごし方。

道端で店を構える人などは1日も関係なく仕事をしていました。
やはり日本と比べると、年末年始はあっさりしています。

2日から仕事が始まったものの、どうも雰囲気がだらけていた。
長年の感覚は変わるはずもなく、かくいう私もこの日はやる気ゼロでした。

「Bonne année!!」と互いの頬を軽く左右交互に4回くっつけあうのが、ベナン流新年の挨拶。

女性ならまだしも、面識のない男性とはやや抵抗のある儀式。
「郷に入っては郷に従え」の理念に基づき私もやってみた。

2回ならまだしも4回となると、なんだか照れくさくなって思わず「ふふっ」と笑ってしまう。

なにわともあれ、日本のありがたみを感じたベナンでの年越し。
来年は、現地人と過ごせたらと願いつつ。

日本とベナンがさらに前進する年でありますように・・・。


デザートに手作りプリン ベナン型に食べてみました。
プリン


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