monologue de yoki-ta

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医療現場の裏側

ベナンでは道を歩くと、たくさんの子ども達と出会う。
日本に比べ出生率が約4倍なのも納得できる。

みんなふっくらとしていて、裸で元気に走り回っている。
日本のテレビ番組などでよく見るアフリカのイメージは、栄養失調でお腹が膨れてぐったりした子ども。

ベナンではそのような子どもを見かけることはほとんどない。

教育を受けられず、現地語しか話せない人たち、頭に商品をのせて売り歩いている売り子さんたちの子ども、野外食堂の子どもたちも、みんな決して裕福ではないが、命を落とすほどの食糧不足や貧困には至っていない。

ベナンは適度に暑く、湿気もあり、海もある。
近隣諸国からの輸入もできる。
そのため、野菜、油、果物、肉、魚など比較的食物の種類は豊富だと思う。

しかし、乳児死亡率(1歳未満)は日本に比べて約30倍の高さ。
新生児死亡率も約19倍。
それはなぜか?

例えば患者側なら、適切な教育を受けていなかったり、貧困家庭であれば子どもの異常を察知するに及ばなかったり、察知してもすぐに病院には連れて行かず手遅れになることもある。
または、母親が病院に行きたいと思っても、父親や家族が反対して行けない場合もある。

例えば医療機関なら、医療機関に救急患者が搬送されても、適切な処置が施されなかったり、設備や知識が不十分で対応しきれず命を落としてしまうことも多い。

ベナンでは、医師の目を通らず助産師や看護師の独断で診察・診断をして処方箋を書くことができる。
当然医師も診察・診断・薬の処方・手術など助産師・看護師と同様行っている。
看護助手が血圧測定や注射など、日本では看護師が行う役割も多く担っている。
さらに、日本では医師・助産師しか認められていない内診を看護助手までが行っている。
役割分担は曖昧である。
たとえ、役割分担が明確であったとしても専門職という専門分野の深さが日本と全く異なる。

ベナンの看護助手は小学校卒でもなることができる。
専門的な知識を学ぶ機会もなく、現場へ入り見よう見まねで覚えていく。

そのため、なぜその手技で行うのかという根拠を知らない。
根拠が分からないために、適当な処置が目につく。

看護職のための学校でも、誤った知識が提供されていることが多い。
基本的な手技や、そのための根拠が非常に曖昧である。

その上、医療職全体的に患者の立場に立って処置を行うという教育や「看護」の概念の教育がなされていない。
患者がどれだけ痛みに泣き叫ぼうがお構いなしに処置を続けたり、ひどいときは逆に叱りつける。

患者が痛がっていようが、しんどい中長時間待っていようが、スタッフ同士の世間話や、所用の携帯電話が優先される。
患者は医療職に逆わない。

処置をしようとしても、物品はそろっているのに適切な物品の準備や管理がなされていないために処置できない。

医療機器があっても、使い方を間違っていたり安定しない電圧のためすぐに壊れる。
当然、必要な物品不足で処置できないこともある。


医療職側も患者側も死に至るまでの治療の試みはあっさりしている。
死に至った原因を深く追求する姿勢は、どちらにもない。
医療職側も、彼らなりに精いっぱいやっているのである。


そんな多くの要因が重なって、子どもたちの死は身近に起きている。
ちょっとした怪我でさえも、ベナンでは命に関わる。
日本で助かる命も、ここでは助からない。
それがベナンの現実で、そういう運命なのだと受け入れるしかない。

沢山の要因は見えてきても、隊員レベルで取り組めることはとても小さく地道なこと。
実際の環境と、自分の活動とのギャップに戸惑う。
どこから、何を始めたらいいのか、糸口を探そうにも複雑に絡まっていて分かりにくい。

だから、今道端で元気に走っている子どもたちは、体が丈夫で、様々な環境に恵まれた運の強い子ども達なのだ。

私は日本とベナンを比べないように意識している。
日本の医療レベルの中で限界があるように、ベナンの中でも限界がある。
上を見ることは大切だけど、そこにたどり着くまでの段階があるし、その過程が大切。
何より、ベナン人が問題意識を持たなければ何も始まらない。
でも、それが難しい。

癒しの笑顔










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命の誕生

ベナンに来て、初めて出産に立ち会った。

私は週に1回程度コトヌ市内の保健センターへ出向いている。

基本的に保健センターで取扱うお産は、正常範囲のお産である。
妊娠期に何らかの異常が見つかれば、更に大きな県病院へ紹介する。

陣痛の始まった彼女がやってきたのは、午前10時半ごろ。
その日は出産が重なる日で、私が出勤する前にも1人生まれていた。

子宮口が5㎝ほど開いているらしく、助産師や看護助手が何度も内診を行っていた。

陣痛の波が来ると、神への祈りの言葉を叫びながら必死にこらえる。

彼女が自然にいきみ始めると、看護助手が「上手、上手。」と声を掛ける。
入室して約1時間半後、無事に赤ちゃんが誕生。

2750gの元気な女の子。
初めて鼻から息を吸い、体を震わせながら懸命に泣く。
その姿は、生きるエネルギーに充ち溢れていて、とてもまぶしい。

第一声

スタッフ達は、事務的に母と生まれた赤ちゃんの処置をする。

母へねぎらいの言葉をかけるわけでもなく、赤ちゃんの状態を伝えるわけでもない。

黙々と仕事をこなす雰囲気に少し居たたまれなくなった。
私が「母」となった彼女に「おめでとう。」と声をかけ、元気に泣いた赤ちゃんを見せてあげた。

疲れた顔をしていた彼女も、ふっと和らぎ安堵の表情を浮かべる。
子を案じる母の思いは万国共通。

処置を終えた赤ちゃんを抱かせてもらった。
ついさっきまで、お腹の中にいた赤ちゃん。

出てきた瞬間、鼻で呼吸し、強い光と色んな人の声や自分の体に触れられる感覚。
たくさんの激しい刺激を受けながら出てきたにも関わらず、すぐに泣きやんで私に抱かれている姿に生命の神秘を感じた。

そして不思議なことに、生まれたての赤ちゃんは色が白い。
日を追うごとに黒くなる。
大人たちも「ヨボ(白人)ヨボ。」と親しみを込めて呼んでいる。

ベナンでこの出産に立ち会えたのも何かの縁。
思わず、彼女たちの人生に思いを馳せた。
新たに始まる子育て。
体のつながりは解け、これからは心でつながっていく。
長い時間をかけて。

当然ベナンでベナン人として、文化や価値観を受け継いでいくだろう。
その頃にはどんな国に変化しているのだろうか?
頑張って産んだ母と父、その家族から、どうか溢れんばかりの愛情が注がれますように。

生まれたての小さい体を胸に、果てしない命の重みを感じつつ、願いを込めた。
初眠り

お好み焼き

家でお好み焼きを作った。
久しぶりに。

と言うのも「おたふくソース」が手元に届いたからだ。
送る荷物の中で、すき間があれば入れてもらう位の優先度の低い物の一つだった。

「ソース」はベナンでの日常に別になくてもいいと思っていた。
実際なくても何の問題もない。

長いもはないので、小麦粉と粉末だし、キャベツ、チーズ、卵、豚肉の代わりにベーコンを使った。

私の家の周囲のスーパーはレバノン人経営のスーパーが多く、彼らはイスラム教のために豚肉そのものは置いていない。
しかし、ベーコンは美味しいためよく購入するものの一つである。

私はお好み焼きを作るときに気を付けていることが一つだけある。

「お好みは生地を焼くんと違うんやでぇ。キャベツを焼くんやでぇ。」
これは、とあるお好み焼きのサイトに載っていたフレーズ。

このサイトの通りに作ると、なかなか美味しく仕上がっていたので日本でお好み焼きを作るときはいつも参考にしていた。

分量は適当だが、久々にそのフレーズを思い出し作ってみた。

焼きあがった生地に「おたふくソース」をかけるとまさしく味はお好み焼きそのものだった。
当り前か・・・。

長いもも、天かすも青のりも豚肉もなかったけど、久しぶりの味だった。
それらの不足分は「ソース」が全て補ってくれた。

「ソース」の威力がそこまですごいとは思っていなかった。
しかも、ソースの甘辛い味は、辛いか甘いしか存在しないベナンの食事情の中で、私に大きな潤いを与えてくれた。

あったらあったで意外に頼りがいのあるヤツだった。


ただひとつ残念だったのは、それを一人で食べたこと。

いつものくせで夫と二人分の分量を準備してしまっていた。
どうりで多いはず。
お好み焼きは、誰かと作る過程を楽しみ、味の感想を述べながら食べるところに醍醐味があったのに。

そう思いつつ、一人で毎晩3日間楽しんだ。

ストライキ

今、私の活動先の病院はストライキ中。
現在3週目。

月曜と金曜は1日 通常勤務。
火曜・水曜・木曜は午前中のみの業務。
でも、週中日の3日間は、全く閉め切ってしまう部署もある。
開けている部署の職員も、出勤する人・しない人様々である。
さらに、開けていても職員のやる気は非常に低い。

いつまで続くのかは不明。

今回のストライキの理由。
それは保健省の嘱託職員に対してボーナスが支払われていないことに対し、彼らがストライキを起こしたところそれが支払われることになったらしい。
ならば、ストライキを起こせばボーナスが支払われるはずという言い分である。
同じ理由で、地方の保健センターでもストライキを起こしているところはある様子。

垂れ幕
労働組合がボーナスの支払いを訴える垂れ幕

病院職員は、正規職員は少なく実際は嘱託職員がほとんどである。
そのため、彼らがストライキで仕事を休めば、病院としての機能は果たせない。

でも、患者はそうとは知らずやって来る。
日本は患者中心だが、ベナンは職員が中心という価値観。
そのため、臨月の妊婦が来ようと、救急の妊婦が来ようとストライキが優先される。

ストライキにかこつけて、単にさぼっているだけの感じもしないでもないが、多くの患者を目前にしながら、ストライキを優先させる姿には憤りを感じる。
日本では成立しない。

しかし、ストライキを起こしても処理しきれないほどの苦情が出ることもない。
それはそれとして受け入れ、病院のスタッフも住民達も「こんなものだ。」と日常が過ぎていく国民性を、一方では心のどこかで、うらやましいとも思う。

当然、生命を目前にしてののんびりさは別として。

細かいことにこだわればこだわるほど、結局は自分たちで自分の首を絞めているような、心のゆとりのない社会だと、いち社会人として息苦しさを感じるようになったのはいつからだろうか?


上の立場の人々は、ストライキをやめるように呼びかける人もいる。
でも、聞かないのが現状。
彼らも生活がかかっているから仕方ないのだろう。

ストライキ初日は、嘱託職員達が集まって、空き缶などでリズムをとりながら、踊って歌いアピールする。
なぜか楽しそうである。
その様子はテレビも取材に来ていた。

ストライキダンス



病院に配属されて7カ月。

実のところ、今回が初めてのストライキではない。
私が配属された頃もストライキ中だった。
今回とは別の理由。
それも、約9週間続いた。
そのストライキは完全に週中3日間は閉めていた。
配属されたにも関わらず約1か月間、月曜・金曜の業務のみで患者も少なく何もすることのない日々が続いた。

その頃に比べれば開けている時間が長い分、ましかも知れない。

日本で働いていた頃は、休みが欲しいとよく思っていたが、それは一生懸命働いていたからこそ。
働いてもいないのに休んでばかりは、気持ちもだれてしまい別の意味でしんどい。
しかも、私たちの活動は期限がある。

今回はいつまで続くのだろうか?

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