monologue de yoki-ta

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水上集落~ガンビエ~

ベナンには水上集落がある。
その名もガンビエ。
アフリカ最大で唯一の水上集落。

そして、アフリカのベネチアとも言われている。
物は言いよう。
言った者勝ち!
いざアフリカのベネチアへ。

ガンビエはコトヌーからタクシーで約1時間のところから、ボートに乗り換える。
ノコエ湖というラグーンの中ある水上集落。
そこで約4万人の住民が生活している。
奴隷貿易から逃れるために、ここに住みついたのが始まりと言われている。

住民


小さな船頭さん
ボートを運転してくれた小さな船頭さん

竹と葦で作られたピロティという水上の高床式住居に住んでいる。

住居の中

多くの人は漁で生計を立てていて、学校・病院・教会・銀行などなど全て揃っている。
もちろん住民の移動はバイクタクシーならぬ、丸太船。

小さい頃から船の漕ぎ方を教えられ、子どもたちだけでも上手く船を操っていた。

奴隷貿易から逃れて生き延びるために、水上での生活を選ばざるを得なかった当時。
水上で生活する技術も未熟だっただろうに、よくここまで発展したなぁと感心した。
散髪屋さん
散髪屋さん

モスク
モスク

小学校
小学校

ガソリンスタンド
ガソリンスタンド

ホテル
ホテル

陸地とは異なる様々な知恵が受け継がれて現在に至っているはず。
その知恵を知りたいなぁと思った。

この水上集落自体はとても興味深かった。

ただそれとは別に気になることがあった。
それは住民の視線の冷たさ。

ここはベナンの中でも観光地のため、観光者向けにホテルやお土産屋さんもある。
住民も観光者慣れしているため、視線が合えばお金や食べ物を要求されることが多かった。

でもそれは、普段道端を歩いていてもよくあることなのでさほど気にならなかった。

ただ、観光客に対して住民の冷たい視線や愛想の悪さが気になった。

写真を拒む国民性でもあり、観光客がカメラを向けると嫌がる住民が目立った。

それでもなおかつ撮影しようとする人も多いからか?

ベナン人なら、知らない人でも声をかけて挨拶をするのは普通のこと。
いつも出会っているベナン人にくらべ、ここの住民の雰囲気は少し違った。
今まで、観光客によって嫌な思いをさせられた経験があるのか?

観光化に向けて協力的な人と、反対する人いろんな住民がいるだろうが、自分たちの日常を好奇の目で見られひたすら写真に撮られることは、あまりいい気がしないのかもしれない。

興味深いところだったが、何となく残念だった。

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首都 ポルトノボ

ガボンからベナンへ任国外旅行へ来ていた同期隊員を案内するために、首都ポルトノボへ。

首都ポルトノボはコトヌからタクシーで約1時間。

政府機関などの公共機関は全てコトヌにあり、実質の経済首都はコトヌとなっている。

そのため、コトヌに比べると首都ポルトノボの方が騒々しくなく、静かでゆったりした雰囲気がある。

でも、首都のためスーパーなども揃っていて、生活するには静かで便利でちょうど良いと個人的には思う。

少し首都の紹介。

町並み
コトヌに比べて交通量も少ない


教会
ノートルダム大聖堂

教会中
中にはパイプオルガンも

キリスト教グッズ
教会前にはキリストグッズ屋さんが。
キリストのアフリカ布もいっぱい


ポルトノボは昔、一つの王国だった。
その王国最後の王トッファの像がある。

トッファ像は左手を内側に向けた姿勢で立っている。
それは「来たれ異国の者、我を助けよ」という意味で何でも招き入れることを表している。

ちなみに世界遺産があるアボメーという町も、ダホメー王国が築かれていた。
その王はトッファ王と対立していて、左手を大きく突き出した像があるらしい。
これは異国民を拒絶することを表している。

当時、自国の劣勢を感じたトッファ王はフランス軍と手を結び、ダホメー王国を征服しようとした。
このため、ポルトノボには仏領の植民地となった際に総督府が置かれ、憲法上の首都である由縁となったらしい。

トッパ王
トッファ王 足元には子ども達が涼んでいた


町並み
程よく緑があってなごむ町並み  奥には潟湖が見える

町並み
ベナンの南部はこんな感じで山がない。



イニヤムピレー
ポルトノボ隊員お勧めのイニヤムピレー
イニヤムという芋を突いて餅のようにしたもの。
ピーナッツソースで。
緑の葉の野菜とアフィティン(納豆のような粘りと匂いのある豆)を和えたものも一緒に。






独立記念日

8月1日はベナン49回目の独立記念日。
国民の祝日。
7月下旬、任国外旅行から帰ってきてみたら、町中に国旗があふれていた。

はた
コトヌの一角


当日、独立記念のイベントは各地で盛大に行われる。
国が主催のセレモニーはその年ごとに地方都市を巡回している。
今年はロコサというコトヌからタクシーで3時間ほどの町で行われた。

ロコサ
ロコサの町にて


この日のために、ホテル建設、道路が整備されるなど大掛かりな準備が行われていた様子。
でも、道路などはまだ工事途中のところも見受けられた。
大統領の顔写真入り、独立記念日のアフリカ布も発売されていて、当日はその布で作成した服を着ているベナン人もたくさん見かけた。

ヤイボニ衣装
2009年度版 独立記念布 ヤイ・ボニ大統領の顔入り


独立記念式典にはベナン大統領も出席するため、もしかすると生で見れるかも?
と淡い期待を抱いていた。
式典会場に一般市民は入れないため、沿道でたくさんのベナン人とともに大統領の登場を待った。

観客達
集まる観客達


大統領を乗せた車は、サイレンとともに走って来た。
と思ったら、私たちの待っていた沿道とは反対車線を、大統領が手を振りながら猛スピードですりぬけて行った。

ほんの一瞬だった。
手と後頭部しか見えなかった。

式典後は国が率いる憲兵隊や警察、軍隊などの行進が、これでもかというくらい続いた。
軍隊系の後は、女性グループや伝統的宗教ブードゥ教の神様やベナンの踊りなど一般住民の行進もあった。
軍隊系の組織の中には女性も沢山いた。


行進中
行進中


大統領を見てみたいというミーハーな人から、心から独立記念日を祝したいという人までベナン人でも色々だろうと思うが、とにかくたくさんの人が沿道に参列していた。

ちなみにベナンの独立までの歴史は
15世紀ごろ ポルトガル進出
17世紀 オランダ進出
17世紀後半 イギリス進出
19世紀 フランスが進出
1894年 全域植民地化
1904年 フランス領西アフリカの一部
1960年 ダホメー共和国として独立
1975年 ベナン人民共和国となる
1990年 ベナン共和国となる

17世紀から19世紀初頭までは奴隷貿易が行われた。
アメリカ大陸などで広大なプランテーションの労働力を確保するために、ヨーロッパ人が始めた。
アフリカ大陸から奴隷として送られた総数は1500万人から2000万人と言われている。

船に乗せられる前には、猿ぐつわをはめられたり、身動きできない窮屈な姿勢で何日も放置され、それを乗り越える体力を持っていた人だけが奴隷として船に乗せられた。
さらに、船内でも身動きができないくらい詰め込まれ、人間として扱われることなく、長期間の航海に耐えなければならなかった。
過酷な環境のため、航海の間に亡くなる人、自分で死を選ぶ人も多くいたと言われている。

長い過酷な歴史を経て、現在がある。
それはどの国でも同じ。
現在に至るまで、そして今も、支配や戦争を繰り返し行わなければならなかった人間は本当に愚かな生き物だと思ってしまう。

ベナン人の公用語がフランス語である以上、植民地であった名残はいつまでも消えない。
反対に、その歴史がなければ今のベナンはない。

長い苦難を乗り越えて、ようやく自分の足で一歩を踏み出せた記念すべき日。
まだたったの49年。

ちなみに来年50周年は首都ポルトノボで行われるらしい。
その時にはもう私ベナンにいないなぁ。

ラ・ベニノアズ
ベナンオリジナルビール「ラ・ベニノアズ」の独立記念バージョン
アフリカ大陸の中にベナンが記してある。ベナンにしては芸が細かいのぉ。

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