monologue de yoki-ta

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ベンベレケ

私の住むコトヌから北へ約540キロ。
バスとタクシーを乗り継いで約10時間。
ベンベレケという村。

この小さな村に「ベンベレケ家政学校」がある。
その名の通り、女性が技術を身につけて自立するための学校。
日本で言うところの職業訓練校。

ベナンでは男性に比べて女性の地位が低い。
家が貧しく兄弟全員が教育を受けられない場合、優先されるのは男の子。
だから、昼間売り子さんや屋台で働くほとんどの人は女性。

ただ、教育を受けることができた女性は、社会的に高い地位に就くことはそれほど困難ではない気がする。
実際、公的な役職に就いている女性もよく目にする。
細かく聞けば、就職後も男女の差別があるかもしれないが、私が見ている限り女性は強い。

話しを戻して、この学校の存在価値は高いと思う。
その存在を知った時、学校を見学したいと思ったが、さらに興味を引いたのはその学校を運営しているスタッフに日本人がいるということ。

そこへ一人で訪れるのは少し緊張。
でも10時間の道のりは長かった。

長時間の移動に疲れ果てた私を、優しく出迎えてくれたみちこさん。
彼女がこの学校を運営するスタッフの一人。

私の周りに集まるたくさんの子どもたちと彼女の笑顔を見ると疲れはあっという間にどこかへ。

みちこさんは23年前、所属の修道会からシスターとしてベナンに派遣。
女性が自立するための技術学校を3人のシスターで創設した。
当時は洋裁のみで生徒4人から開始。

現在は洋裁に加え、髪結い、織物を学ぶことができ、果物シロップ、自家製クッキー、シアバター入り石鹸、薬用植物原料の軟膏類なども作成し販売している。
織った布も販売し、それをここで仕立てることも可能。
織り機
織り機部門

美容
髪結い部門

洋裁
洋裁部門


資金はイタリアの民間団体から得て運営しているとのこと。
しかし、年々援助が減り運営が厳しくなっているらしい。
5年前から新しく、小学校と幼稚園を併設(通学・通園式)し、現在は全部で400人がこの施設を利用している。
小学校
小学校校舎 5年前からの未完成部分があり・・・。

子どもたち
小学生たち

幼稚園教室
幼稚園の教室 まるで日本


家政学校の学生たちは敷地内の寮で暮らしている。

家政学校寮
学生の寮


体に障害がある人、強制結婚から逃れてきた人等この学校に通う経緯は様々。

学校の給食も彼女たちが作り、掃除、洗濯、調理、家畜の世話など日常生活に必要なことは全て身につけることができるシステム。
体に障害があれば、障害と共存し特技を生かした技術を見つけ、伸ばすことができるように援助している。

マクラメ編み
教室に造りかけが置いてあったマクラメ編み(太めのひもを編んで幾何学模様を作る)
誰のかなと思っていたら・・・

マクラメ編みの得意な女性
彼女の作品らしい。
部屋を見学している時偶然出会った。左手が不自由ながらも器用に編む。



この学校の決まりとして、畑で1人1つ好きな野菜を育てること。
畑には枯れている場所、育っている場所それぞれで、性格がよく表れている。

畑
みんなの畑

レタス
きれいに育ったレタス

家畜たち
家畜たち

台所
台所

寮の部屋
寮は一部屋に2段ベッドがたくさん と みちこさん

一人のスペース
これが一人のスペース


「お客さんが来ましたよ~。部屋を片付けるなら今のうちですよ。見に行ってもいい~?」
施設を案内する時に、みちこさんが生徒たちに声をかける。
その声を聞いて、女の子たちが嬉しそうにわっと集まってくる。
両親と離れて暮らす彼女たちにとっては、母親のような存在。


彼女は幼稚園、小学校、家政学校、規模が大きくても、気になる子どもたちはきちんと把握し、それぞれの変化をしっかりと捉えていた。
ベナン人のシスター達と彼らの変化を共有し、その成長を喜び合う姿が印象的だった。
彼女たちにとってそれが生きがいなのだ。

「最初ここに来た時、私の田舎と似てるなって思って気に入ったんですよ。」
と赴任当初を語ってくれた。
23年前と言えば、まだ道路も整備されていなかっただろう。
今でこそ足を延ばせば野菜を買えるが、この小さな村には食べ物も水も豊富になかったはず。
ベナンの習慣や価値観も分からない中で、施設を立ち上げることも大変な作業だったはず。

色んな苦労があってもやりたいことをやっているから、今の生活をとても楽しんでいる感じがした。


カシューナッツの木
敷地内には色んな草木花が育っていた。
そのうちのひとつ。
なんの木?

カシューナッツの実
カシューナッツでした。




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新病棟完成

私の活動先の母子病院は、日本からの無償資金協力を受けて、新病棟を建設した。
2008年着工し、2009年10月にほぼ完成した。
設計、工事監督などは日本の企業が行い、数百人のベナン人が労働力として雇われていた。

3階建て、新生児病棟と小児科病棟、検査室や陣痛室・分娩室などなど。

その開所式が行われた。
一部未完成な部分を残しながら、すでに稼働し始めていた。
今回全てが最終終了したため、正式な式が行われた。

前日には新病棟のためのミサが行われ、牧師さんによって聖なる水で建物全体が清められた。

当日は病院の正門に日本とベナンの国旗が掲げられた。
日本とベナン国旗

日本の大使を始め、多くの来賓。
来賓の方々

ベナンの踊りでセレモニーが始まる。
セレモニー

病院長や日本大使館の挨拶。
大使

新病棟内を見学。
新病棟中

新病棟の開所式には多くのベナンの報道陣が取材に来ていた。
それを利用して、病院の労働組合員がここぞとばかりにストライキのアピールを行っている。
ストライキアピール

この新病棟建設の際には、日本側とベナン側で役割が分担されていて、日本側の担当部分は予定通り完成していたが、ベナン側の部分は工事が滞りなかなか完成しなかった。
病棟と旧病院をつなぐ渡り廊下に始まり、電気・水道系統、酸素、ガスなどはベナン側の担当で、運営の基本となる部分が欠けていて稼働できない状態であった。

日本側が工事を急かしても、返事は良いが行動に移さない。
資金、技術などベナン国内での連携が取れず滞っていた面と、日本人との仕事に対する価値観の違いや、ゆったりした国民性が故に滞っていた部分がある。

結局、ベナン側のマイペースさが原因で建設が計画通りに運ばず、何とか納期に間に合うようにと、現地人労働者を増やし、夜遅くまで必死で作業せざるを得ない状況だった。
日本とベナンのコラボは問題が山積みでかなり大変だったと関係者から聞いた。

家族と離れ、高温多湿の気候の中、朝から夜遅くまで、現地人との価値観の違いに奮闘しながら、ベナンにはない技術で建築しなければならない日本企業の人々は本当に大変な仕事だと思った。

この建物完成の裏側には、日本人の沢山の苦労と日本人のペース、価値観に合わせて仕事をしなければならなかったベナン人たちの苦労が詰まっている。
新病棟正門


この病棟は建設だけでなく、各病室の冷房やベッド、滅菌器具、新生児用の保育器や光線療法用の機材、レントゲン、分娩台など様々な器具も日本側が準備していた。
新生児室

様々な機材


今の病棟は建物、機材ともにまだまだ使うことができる。
西アフリカ最大といわれる母子病院のため、国内では機材も十分揃っている。
でも、きちんとした使い方を指導されないため、すぐに壊れてしまうのが現状。
新しい機材に関しては、今後日本の業者が管理に関して定期的に指導・点検を行う予定となっている。

私の本音を言えば、今のベナンの現状に、本当にこの建物と機材は必要だったのかと思う。
物の提供より医療、看護知識や技術を底上げする方が先なのでは?

全て日本国民の税金であるということを、どれだけのベナン人が理解しているだろうか?
日本が財政難の中、捻出しているお金だなんて誰も知らない。
機械の技術が優れていて、働き者でお金持ち。
これが、ベナン人の日本人に対するイメージ。

ベナンを走っている車の多くは日本車で、教育を受けた人は天皇の名前も知っているが、彼らは日本人を見たことがない。
アジア人と言えば、ベナンに多大な援助を行い、住民も多い中国人が真っ先に出る。
日本の援助は顔が見えないとよく聞くが、確かにそうだと思う。

テレビでどのように放映されたのか知らないが、ストライキのアピールで消えてしまわないことを願う。

「建物は生き物だから、使ってくれないと廃れてしまう。」
病棟を建てた日本人スタッフの言葉。
私も同感。

多くの人々の苦労の末、日本の税金で建設された建物。
ベナンの新生児・乳幼児死亡率や、妊産婦死亡率の軽減のために有効活用してほしい。

日本からベナンへ

ベナン国と日本国の友好と協力のシンボルとして日本国民より寄贈

伝統的結婚式

御祝い品

さて、この写真は何をしているところでしょうか?


答えは、結婚の祝いの品を納めているところ。

ということで今日はベナンの結婚式について。

同僚の弟がベナンの伝統的な結婚式を執り行うとのことで招待してくれた。

日本で言うところの神社で十二単を着る神前結婚式のような感じ。


午後4時ごろ新婦宅に集合。
ベナンでは結婚式を挙げるということはそれなりの財力があるということ。
それを示すかのように、新婦の家もとても大きな家。

おしゃれが大好きなベナン人だから、結婚式は着飾ってくるのかと思いきや、多くの女性は「ボンバ」という普段着でよく着られている民族衣装。
やはり、伝統的な結婚式だからか?

どこからともなく、タンバリンのような楽器でリズムを取りながら、歌のような掛け声のような声が聞こえてきた。
「ボンバ」を着た女性達が頭に色んな品を乗せて、行列をなして歩いてくる。

頭には色んな形のお鍋、台所用品、お酒類、鞄などなど日常生活用品が。
どれも豪華に包装されている。
羊3頭 ニワトリ2羽も。
山羊と鶏

これは新郎から新婦親族へ、結婚に対する感謝の気持ちを表す品々。
事前に新婦親族にお伺いを立てて必要な品を聞き、親族から了承されるまで品物を揃えなければならないらしい。

行列が家の中に入ると、式の出席者も家に入る。
広いリビングに新婦の両親を始め、新婦の親族が大勢着席している。

出席者は彼らに挨拶をしながら部屋を一周し、また外に出る。
この行為を約3回繰り返したのち、室内に着席する。

華麗なる一族
新婦の両親と親族 華麗なる一族?


式が始まる前に、大きな水が入ったお鍋が回ってくる。
出席者が順番に一口づつ回し飲みをする。
お祝いの水

お祝いの品の数々を紹介。
御祝い品2

ブランデーなどの酒類、お鍋各種、電気調理器具各種(ティファール)、スーツケース、皮鞄、化粧品、グラスセット、塩10キロ程度一袋、マッチ、木彫りの椅子などなど。

お祝いの品を頭に載せて運んできた女性たちは、親族ではない。
結婚式の司会進行、音楽、踊りなどなど、盛り上げるためにあらゆる手を尽くしてくれる人達。

かつてアフリカのほとんどの国は伝統的に文字を持たない無文字社会。
だから、歴史等も書き記すことができず、ことばと歌で語りつたえるという方法を発達させた。
歴史や出来事を記憶し、楽器と独特なリズムに合わせて、音階があるのかないのか分からないような口調で歌う。

それを結婚式などの伝統儀礼では出席者の誉め歌を歌って場を盛りあげる。
もちろん現地語で何を歌っているのか分からない。
だからベナンに限らずアフリカの音楽は、日本の音楽と役割や意味合いが異なると思う。

ジャンべ(ベナンの太鼓)や様々な楽器で独特のリズムをとりながら、合わせて掛け声で盛り上げる。
楽団

その音楽に乗って、司会のおばさんが親族の前で一つずつお祝いの品を紹介する。
賑わいのおばさん
いつも踊って小刻みに体のどこかを動かしているので、写真はぶれる。

それぞれの品の中にはお祝いのお金も入っている。
この紹介に約2時間近く・・・。
長い・・・。

ようやく顔を隠して新婦の登場。
花嫁さんの登場

少しだけ顔を見せ、周囲の人が「もうでてきてもいいですか?」と出席者にお伺いを立てる。
全員で声をそろえて「まーだだよ。」
すると、取り巻きの親族のお姉さん方にすぐに奥へ押しやられてしまう。

花嫁さんを囲む親族
押しやられる新婦 (左から2番目 オレンジの服を着た人)

ちらっと見せては、かくれんぼのような掛け声を掛け合いまた隠れる。
そんな行動を3回繰り返す。
しかも、出てくるたびにお色直し。

だから、出てくるまでに時間がかかる。
その間は、伝統的音楽の人たちがリズムをとり、歌を歌い、司会のおばさんや他の出席者が踊って見せる。
新婦の両親を始め、主要な親族たちが、音楽と歌と踊りに対し、新札を彼らの額にくっつける。
5,000cfa(1000円) 2,000cfa(400円)を繰り返し。
ベナンではかなりの大金。
最後には、出席者にも回り、おひねりをもらう。
これがこの人たちの収入。

そして3度目は「もういいよ。」とようやく新婦も席に落ち着く。
最後に新婦も彼らに新札のおひねりを提供する。

新婦さん
新札を張り付けた傘の下で

新婦さんが落ち着いたところで、儀式が始まる。

新婦さんが祝いの品の中からお酒をひとつ選ぶ。
儀式の始まり
トレイに新札とコラの実。 グラスは新婦の選んだお酒と水。

~コラの実~
コラの木(樹高約10m、アオギリ科の熱帯西アフリカ原産の常緑高木)の種子で大きさは3cm~5cm。
主な有効成分はカフェイン(覚醒作用)、コラチン(興奮作用)、テオブロミン(精神安定作用)滋養強壮効果もあるらしい。
西アフリカでは伝統的な嗜好品として食されている。
14世紀ごろからサハラ砂漠を横断する旅人たちにとっては疲労解消のための必需品だったらしい。
ちなみにコカ・コーラ飲料は19世紀末に開発された当時はコカ(イン)の葉とコラの実の成分を抽出したものを主原料としていて、炭酸水で割って飲む医薬品だったが、そのうちコカインを取り除き、嗜好品として売られるようになったらしい(現在のコカ・コーラにはコラのエキスは主成分でなく微量に入っているらしい。)
コラの実はコラニン色素により独特の赤紫色を呈しているが、白い実もある。
味はやや苦渋い。
市場で売られていて、手軽に手に入る。

花嫁のおばにあたる2人の女性(特に双子が好ましい)がこの儀式を行う。
儀式中

お酒と水の双方を新婦や彼女たちが一口飲み、コラの実にかける。
御先祖様にも祝ってもらうために。

続いて紅白のコラの実をそれぞれ2つに分解する。
これを彼女たちが両手で投げ、裏表を占う。
2つ裏、2つ表だとOK。
3つ表で1つ裏だとやり直し。
2つずつ裏表がでるまで、投げ続ける。

これは家庭に平和や幸せが訪れ、子宝に恵まれることを願っての儀式らしい。
2つずつ裏表が出ると、みんな喜び、紅白のコラの実とアタクンと呼ばれるコショウの実のような小さい粒と3種類が出席者にふるまわれる。

ベナンでも紅白は、おめでたい色ということか。
不思議な共通点。
儀式2

その儀式が終わるころには夜の10時を過ぎていた。
見ているだけだが、疲労と空腹もピーク・・・。

ようやく食事がふるまわれていたが、私たちは飲み物だけいただいて同僚と一緒に新郎宅へ。
ここまでの儀式には新郎はお祝いの品だけで、姿を現すことはなかった。

新郎宅も屋外に豪華な会場を設置していた。
新郎会場
この結婚式の規模は、ベナンの中でもかなりのお金持ち。
一般庶民のレベルではなかった。

そこでは、食事がふるまわれるだけのようだった。
豪華にテーブルがセッティングされて、日本の式場のようになっている。
大音量で音楽が流れている。
ベナンではあまり「乾杯」のようなものはなく、到着すると各自食べ始める。
夜の11時、ようやく食事をいただくことができた。
食事
食事も豪華。


新郎も白い「ボンバ」を着て、接待に忙しそう。
出席者のために奔走している姿からは、新郎とは分からない。

夜中12時30分ごろ、新婦が新郎宅に到着との情報が入った。
さらに、またお色直しをして来ていた。
が、なかなか会場にやってこない。

残念ながら、私たちも疲れがピークとなり1時ごろ帰宅。
結局、新郎、新婦が一緒にいるところは見ることができなかった。
自分の中ではやや尻つぼみに終わっってしまった。

ベナン人の夜はまだまだ長いらしい。
遅ればせながら結婚おめでとう!








Bonne année

Bonne année!!
明けまして おめでとうございます。

日本時間から遅れること約8時間。
ベナンで最後の新年。

ベナンの公共機関では、12月31日は14時まで働き、1月1日のみ休日。
2日から仕事です。
今年は土日が重なっているので、3日まで休み。
結構、働き者。
でも、頭に物を載せて売り歩く売り子さんたちなどは、あまり関係ない感じで普段通り働いている。

2年目になっても、年末年始は日本の感覚が抜けず、どうしても気が抜けてしまう。
ベナン人もクリスマスが終われば、一仕事終わりという感じで、気が抜けている感じはした。

31日はJICA事務所の方のお家で、リアルタイムで日本の紅白を見て過ごした。
すごい時代だ。
アフリカのベナンにいるにも関わらず、こんなことが可能になるなんて。
リアルタイムなので、ベナン時間では昼の11時に紅白が始まった。
「ゆく年くる年」が終わっても、ベナンではまだ夕方。
でも、なんだか既に年越しを終えたような、変な気分。

日本ではじっくり見ない紅白を、ここでは自然にじっくり見てしまう。

やっぱり日本っていい。
価値観が同じってすばらしい。
ベナンの暑さで乾ききった心がどんどん潤う。
ただただ、無性に望郷の思いに駆られながら、日本でならほとんど興味のなかったシーンまで興味深く見ることができるようになっている自分。

ベナンで始まり、ベナンで終わった1年だった。
次の年越しは、寒さを感じながら、日本の家族と食べ物に囲まれて過ごしたい。

ベナン人の年越しは、爆竹をたくさん鳴らす。
歌って踊って叫んで過ごす。
これを書いている年越し前も、外は子ども達の声で賑わっている。

みなさんにとって、実り多き1年になりますように。

Bonne fête!!(良いパーティーを!)




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